2024年10月の5日day遠隔、3回目!25日
美香が感受したメッセージやお悩み・ご質問に
5日dayでオシゴトの事で書かせてもらったのですが、これから自立するならお金を貯めておくのはもちろんですが、正社員になるとか関係なく今自分がきになっている仕事に就くのも未来に繋がる1歩になるかも知れないからチャレンジしてみてもよいのかな?と。
長い目で報われる…はそんな事もひっくるめてのお言葉だったんでしょうか?
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10月最後の5日day遠隔のメッセージについてのご質問への回答です(^^)
「報われる」というメッセージに美香感受の追加として
>「報われる」は今すぐどうなるとかの意味ではない印象でした。なが〜い目で という感じ。
と、補足させていただきました。
ここで大切なポイントは特に仕事に関して「どの選択肢が自分自身の目指す未来に最も近づく事ができるか?」ご質問への回答として、いくつかの視点からアドバイスさせていただきます。
①スキルを積みながら経験をアピールするのに適した環境かどうか
②正社員への道がみえるか?
③仕事内容と負担
④シフトの条件・体力・生活リズムなど柔軟に対応が可能か
⑤各方面に無理がないか
⑥自分が興味を持って取り組める仕事か?
⑦チャレンジすること自体が、自分の成長に繋がり、将来の可能性を広げる大切なステップ
⑧今のあなたの「興味」や「挑戦したい」という気持ちは、未来に向かう上でとても重要です。それを大切にして、まずは一歩を踏み出してみても良いのではないでしょうか?その小さな一歩が、長い目で見てあなたの人生を豊かにしてくれることに繋がるはず。
というのがごく一般的な回答になるかとおもいます。だがしかし❗️このブログは美香の考察などあれこれディープなオリジナルマニアックな界隈(笑)
・まず正社員について。
10年一昔といいますが。私が離婚を考えた時というのは「私自身の経済」がなかった、つまり主婦の腰掛け程度のパート収入月に3000円〜5万円くらいだったので到底生活できる目処は立たず。
さらに、結婚当初から「そんな昼間っからちんたら子育ってしかしてないうやつに正社員なんかなれる訳ないやろ」「出来るもんなら俺より稼いでみろや」などなどを普通に言われまくっていたので完全に洗脳されていましたね(今思い返すと)
「正社員にもなれへんやつが、自分で社会に出て稼がれへんやつがどうやって生きていくつもりやねん」とかw
(器の小ささが露呈していますねw)
なので当時の私は、
主婦の腰掛けパートはできる、でも
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正社員にはなれない
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正社員になれないと子どもの親権を取る事ができない
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離婚できない
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できたとしても、子どもを置いて私だけが出ていくことになる
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夫から子どもを離すことが目的なのにそれじゃあ本末転倒😢
という思考しかありませんでした。時代というのもありました。
正社員のお声をいただいたことが離婚への最大の一歩だったのかもしれません。
さて、この方の場合ですが。
お子さんがおられるのと、目をかけたり手をかける必要があるのでやはりある程度の時間などの融通がきく方が良さそう。
そうでなくても、万が一子どもの発熱などで早退や欠席という場面では優しい人すぎるために職場の人たちに過剰に「気を使いすぎる」ことによって家と職場のダブル疲弊する可能性が高すぎるから。
正社員の良さとパートの良さ
それぞれの良さがありすぎて
これはもう、永遠の悩みかもですね
いきなり正社員にこだわる必要もないかもです。
徐々に自分も子どもも慣らして行く という間合いも必要かも(^^)
なので離婚する準備としての、「正社員にならねば」というのは長い目で見て不要かもです。いつかはそうなってもいいかもね〜くらいの軽さで。
いつでもどこでもやりたいこと、気になる仕事などに出会った時に身軽に「シフトチェンジ」が出来るように
軽く。
・自分からわざわざ境界線を引かない
自分の理想の未来・のぞむ世界がある だけどどうせそれって叶わないだろうな〜
まるで別世界だし
私にはどだい無理だわ
という今の自分と未来・夢・のぞむ世界(どんな表現でもいいよ)に境界線を引かなくてもいい。
さらに付け加えるとするなら、そこは地続きではない!
道は続いているように見えて細切れなので😁
その細切れが突然変異のように差し代わることもある。けれど大抵の場合 気づかない 気付けなかったりするものなので
どうせ叶わない というような境界線をあえて自分からは引かないでおく。可能性無限大の視点で胸の奥にしまっておこう(^^)
なぜなら、誰かに話したとて笑われるかー、フリーズするかー、引かれるかー、頭大丈夫かーとか、疲れてるんやなと慰められたり、心療内科を勧めてきたりするので(笑)
なので、とりあえず周囲の薄い友人知人・両親などには話さないほうが得策なこともある。
・仕事にはライスワークとライフワークがあるといわれますが。
ワーク、仕事っていうのはある程度のしんどさやキツさは持ち合わせているもので。
結局のところ違いは、その仕事に対する自分の在り方なだけ。
雇われている安心感、あらゆる保証、リスク、自分自身の精神力、体力、メンタルの強靭さ具合によっても違うし。
「気になる」ということはすでにそこになにかしらのフラグがたっているので、トライする意味はあるのではないでしょうか。 たとえトライしたけれど、合わなかったなど諸々の理由も発生するはずなのでその時には「これは私には合わなかった」ということが「わかった💡」ということが得られた😊
という解釈ができる。
・「報われる」
このことば
>「報われる」は、「努力や苦労に対して、それに見合ったような期待通りの成果や成功が得られること」。
さらに、詳しく言葉の成り立ちをみていくと、「報われる」は「報いる」と、受身の助動詞、「れる」から成り立つ言葉です。「報いる」とは、「受けた事に対して、それに見合う行為を相手に行う」「仕返しをする、報う」という、少しネガティブな意味を含んでいます。しかし、受身の助動詞、「~れる」がつくことによって、「自分がした努力に見合った結果を得る」というポジティブな意味になります。〜Oggi より
報われるとは努力・苦労を差し出して得られる「成果」のこと。前提としいて差し出しているものが先にあること。
これまでの約20年の結婚生活や子育てなどなど日々のあらゆる血の滲むような、涙なしでは語れない日々だとか、苦痛などのその先に得られる何か。
という意味合いが強いかとおもいますが、今回のこの方の場合にはこの報われるは
実を結ぶ
そんなイメージ、印象の方が強いのです。
それは今日明日のことを指しているのではなく、もっともっとさきの。
日々を淡々と、ただひたすらに淡々と「日々の暮らし」と「子どもと向きあう」のその先に広がる世界
なので、これだけがんばったから〜とか
これをしたから、報われる(報われた)とか
こんなにもつらい思いをしてきたのに〜というのではなくして、
ずっと先にいったとき 振り返ると「ああ❤️😊🌸」という感じ。伝わりますかね〜?
何かを成し遂げるためにきたのではなくて〜経験を体験しにきた
使命のために……尽力するのはいいけれどズレていたらそれはあっさり筋違いに。
人生は一度きり。
こうしたら、ああなる……とチミチミと机上の空論で埋め尽くすよりはなんでもトライしてみるのも一策。
最終的に、自分がこの肉体を脱いだ時に「あ〜今回の人生(ゲーム)めっちゃ面白かったわ〜みんなありがと〜」と思えるかどうか というところに焦点を当てて考えてみる というのがオススメです💕
何か考えをめぐらせたりする際にの基準の参考になれば幸いです。