離婚を考え始めている方が私や私のサイトに辿り着くということは、何かしらが引き合っているかと思われます。
どんなに説明しても話しても話が通じない。
まるで同じ日本語なのに別の世界や外国のようなイメージがするほど。
これは結婚してすぐに感じたことで、この時にようやく
結婚とは全く違う文化・環境で育った赤の他人が紙にサインするだけで「夫婦、婚姻関係」になることなのだ
という事の重大さを肌で感じたのでした。
育った環境、家庭内や学校での敎育、友人関係、出会い、趣味嗜好……あらゆる要因はあるにせよやはりどこまでいっても他人という壁は消えないのでした(私の経験によるもの)
分かり合える
理解し合える
共感できる
というのはほぼ無く、それは年々「無い」が増えてゆくというか自ら自然と探しに行ってしまっていたのだと今ならめちゃくちゃわかります。
だからこそ円満の秘訣は「我慢」だけではなく「お互いのあゆみより」や「思いやり」「ちょっとした感謝の表現」が普段の何気ない生活のなかに必要なのだな〜と今ならとてもわかるのです。
わかるのですがね!わかっていてもなかなか出来ないんですよね💦
これもひとえに「日々の訓練・トレーニング」なのかもしれませんね
さて。私が離婚を決断した瞬間のことは忘れっぽい私ですがよく覚えています。
それは以上なほどに「冷静な私」だったから。
元旦に私の実家に2人の子どもと私の3人で帰省するのは数年ぶりでした。日帰りの予定でしたが叔父の家族が来るというので一泊して明日帰ることにしよう!となり自宅にいる元夫に電話で連絡した時の対応で十数年の私の堪忍袋の尾が切れた、完全に決断した という瞬間でした。
長男と電話で話しているのに受話器からの怒鳴り声が普通に実家のリビングに響き渡り、両親や長女も固まり空気が一瞬で張り詰めました!凍りつきました!
その時の覚悟と決断は堪忍袋というほど大したものではなくて。「あ、この人にはもうどんだけ言っても、やっても、なにをしてもあかんな」という小気味のいいあきらめ。
そこから2ヶ月の間に家中を断捨離しまくって。
もちろん家のことも、仕事も、学校のことも並走して。
子どもたちには一番に相談し、約束をしました。
何もなかったかのようにいつもどおり振る舞う
なぜならきっとチャンスは一度しかない、というのはずっと感じていましたしDV(モラハラなど)で離婚という体験本や専門書にもそのような内容があったから。
そして万が一失敗して連れ戻されたときには、これまで以上の地獄がまっているということ。制裁が加わり、監視や24時間あらゆるチェック、さらなる叱責や罵倒が増えるため二回目、三回目というこの生活からの脱出はよりむづかしくなる可能性が高くなるから ということも読んで知っていた。
最悪なのは連れ戻されてからは精神的・心理的に完全に病んでしまうということ。
などからチャンスは一回しかないと。だからこそサイコパス気味なタイプは察知する能力が異常に高いので厳重に通常の生活を演じた のでした。
通常の、いつもどおりの生活といえどもそれは元旦の一件からさらに厳しい状態になっていたので家中がピリピリモード。 まさに家の中の地雷が100倍に増えたようという表現がぴったりでした。
家の中の地雷がこれまでの100倍のなかでいつも通りの生活をするとはどういうことでしょうか?
それはひとこと。
疲弊
これにつきます。ですが単なる疲弊ではありません。今回は目的があってのことなので目指すべきゴールというかうっすらとしか思い浮かべられないけれど「しずかで おだやかで 平和な日々」に向けての戦場へ向かう準備のようなもの。 と、そこまで考えてはいられなかったというのも正直なとことで^^;
ただただX dayに向けて超強烈ハードな生活を「いつもどおり」を演じながら生きて。
「断捨離」してるからちょっとばたばたしている、というのは伝えていました。でないとやはりゴソゴソしているのはばれやすいので。
最近は夫が職場に行っている間に、社名の入っていないトラックと無地のダンボールで荷物をそっくり移動するというサービスも普通にあるそうですね(^^)
10年以上まえには残念ながらありませんでしたが、これが通常のサービスとしてあるというのはそれだけ類似なことが多いのだな〜と。時代は変わってゆくものです。
X dayの予定は春休みでしたが、4日になんだかプツッと糸がきれてしまって。怒ったとかではなく「もうええわ」というあきらめの方だったように記憶していますし、とにかく私自身の心がとっくに限界を越えていたんだという事にも気がついたのでした。
で、ほぼ準備も荷物も持ち出せずほぼ着の身着のままで実行。
後悔していますか?というご質問。
めちゃくちゃ後悔していること、悪いことしたな〜と思うことは山ほどあります。
・高校からバイトしなくて済んだだろうな
・アルバムを一部しか持ち出せなかった
・お気に入りの学習机をずっと使いたかった
・母子家庭というレッテルを貼られること
・可哀想な子という目で見られること
・大変やね〜と興味本位で近寄ってくる人に真面目に対応している自分
・年金分割拒否されたこと
・自分の人を見る目が養われていなかったこと
・二次被害は実際にあるということをリアルで体験してしまったこと
・そのままだったら〜家を出なければ〜という「タラレバ」をふと思い浮かべる瞬間
・節約しまくって住宅ローンの繰上げ返済をしたことで、子どもにたくさんの我慢をさせてしまったこと
・結婚生活を無理して我慢したこと
・あの日からの成長を見せられなくなったこと(義父母に)(同居していたので)
・経済面での不自由をかけてしまっているな
箇条書きにするとなんだかピンとこないのですが、後悔というモヤモヤって10年以上たっても完全に消去することはないんだ‼️ってことを体感しています。
当時のことを思い出すたびに、子どもとあの日の頃の話をするたびに、「すまなかった」「わるいことした」と
思うことがあるし、胸の奥がチクチク痛むことももちろんある。
思い出して震えることもあるし、涙もでる。ほんの数年前までは駅の階段やプラットホームで後ろから(元夫)に突き飛ばされるかも💦という謎の恐怖でいてもたってもいられなくなったりもしていた。
つけられていないか?とキョロキョロしたり、疑心暗鬼にも。
なので、もちろん後悔もある。当時から比べるとずいぶんと「薄まって」はいるけれど完全に「ゼロ」になった訳ではなくって。
思い出してわなわなしたり、似たようなタイプの人を見かけると吐き気がしたり逃げたりもするけれど、やっぱり当時ほどではなくなっている😊
「時」が解決してくれるところもある。
周囲の人が支えてくれていることも相当に心強いもの👍
罪悪感も恐怖も悲しみも蘇ることはあっても、確かに言えるのは「もうあの時とはちがう」「離婚した」ということ。この心の枷がなくなったことは私にとっては非常に重要なことだった。
たった紙切れ一枚のことなのに。
こんなに、こころや体、生活、信頼、経済、心理、将来、その他もろもろが左右されるなんて。
たった一枚の紙
この契約は紙一重だ。