人生には何度かの「出来事」と「起点」がある
1995年 阪神淡路大震災
2013年 夜逃げ〜離婚
2021年 泊まり込みで介護生活
2023年 謎の急死
私の出来事と起点に共通しているのは
「滋賀県の叔父の家で共同生活」という
テーマがいつも流れている。
私の考える人生とは
「人生とはジェットコースターのようなもの。」
上がったり下がったりぐるっと回ったり、息ができないほどの重力を感じたり、はしゃいだり怖かったり……
良いことと悪いことはいつも背中あわせ という定義が
私の中にあった。
だから、いつも大事件の後には人生について
必ず考えさせられることがあって
どん底や悲しみを体験してからの〜
結果オーライ的な。
「滋賀県の叔父の家で共同生活」で得られる
ジェットコースター体験は
自分で設定したことを知った
ビフォーアフターで全く違ったものとなっている。
最初の2回は自分の人生を大きく変える起爆剤となったが、痛みや悲しみ、恐怖、絶望などの割合が大きかった。
後半の2回は自分で設定したことを知った後なので、「あーね」という感覚(笑)
なので、今後の人生をより改良するための起爆剤としての「一旦停止」というスタンスでしたので、周りの状況に流されっぱなしになるということはなかったように感じて言います。
全ては自分の設定だという事を知るだけでこんなにも「在り方」「受け取り方」が違うものなのかーーーと感動する。
とはいえ起こる現象に感情が揺れるのは人としては当然で。
涙が止まらない ということも多々ある。
人生の設定だと分かったからと言って、起こる出来事が変わるのではなく
その現象や出来事への見る(観る・視る)視点が増える というだけのこと😊
視点が増えるとは 生きる希望が増えること
視点が増えるとは より生きづらさが減る感覚を得るということ
視点・視座が増えるのは 人生に深みが出ること✨