先日ちょっとしたお祝いを兼ねてランチをした時のこと。
退店直前、約30年前の友人も食べにきていたことに気がつきました。
もしかしたら向こうも気づいていたけれどあえて声をかけてこなかっただけなのかもしれないけれど、私は意図的に声をかけませんでした。
以前のわたしなら間違いなく駆け寄って「〇〇ちゃん❣️ひさしぶりやーん❣️元気してた〜ん?」と声をかけてしばし立ち話で近況を語り合ったはず。 そして締めくくりには「またお茶かランチしよな〜」と。
1。いい意味での断絶感。「子ども繋がり」「仕事関連」「地域関連」「趣味・習い事関連」などの共通する基盤がなくなった、途切れた。
特に私の場合は夜逃げをして離婚し、ひとり親家庭・介護福祉士から個人事業主になったのでこの全てに当てはまるレベルの「過去の世界からの(意識的)断絶」は強めかも。
2。交わらない風味。
今のわたしの住んでいる領域の世界観と相手の世界観に交差するポイントが少なくなった(もしくは無くなったかも)世界観の共有をすることができない感覚。
3。別次元感。
物理的には同じ空間にいるのに、精神的?存在的?感覚的? んんんーーーなんと表現したらよいのか語彙がないのだけれど、住んでいる「層」が違うイメージ
この3つがリアルに感じられた瞬間だった
でもこれって、わたしが変わったってことでもあり
相手が変わったという両方ありそうで。
冷たい というのではなくて、交わる、交流するをしないことが正直な選択で(お互いに)
もしも、昔のように習慣で 自動反応で声をかけていたらそれはきっと間違いなく「形式上の再開」「上部だけのあいさつ」になっていて心の底からの「再開♡」ではなかったかもしれない。
その日形式上の、うわべだけの交流がなかったからこそある種の「余白」「スペース」「間」が生まれ出たというこの可能性を育むための「沈黙」だったのか
私のように物理的な強制断絶(夜逃げ・離婚・転職・引越し)がない人で、この微妙な人間関係に悩んでいる人が多いのかもしれない
声をかけなかった私は冷たい人?という自責や罪悪感は不要❣️(だと私は感じます)
仏教や禅でいうところの「縁が尽きた」
スピリチュアルでいうところの「波動があわなくなった」
固執することなく