今日は「ちゃんとしたい」というポイントについてです。
私は元「ちゃんとしないとあかん」は人でした。
ちゃんとしてない人は人としていかがなものか?
こんなこともちゃんと出来ひんでどないすんねん💢
これぐらいちゃんとしてよねっ
ちゃんと出来るでしょ???
と、「ちゃんと」の五段活用です🤣
・自分が自分に対してのもの。
・他人(上司・親・パートナー・師など)から言われるもの。
・私が誰かに怒っているもの。
と、方向はいろいろありますね。
今回は「ちゃんとしたい」と思っているけれど、現状はちゃんと出来ていないという認識がありながらもそれこそが自分が源の基準でないことが最大の問題点である というものについてです。
①ちゃんとしたい
↓
出来ていないと自分で認識している
↓
満足していない状態
↓
その条件に当てはまっていないから
↓
その条件とはなにか
↓
どこかの誰かからのものかもしれない
(ex. 画像・ショップ・雑誌・ネットからの情報・両親から・学校や先生 師匠から教わった・常識・思い込みなど)
↓
それらの条件全体と自分を比べて「差」を感じる
↓
不足 があるのを感じる
↓
だから 出来ない・ダメなんだ
↓
だから ちゃんとしないといけない
ちゃんとしたい
つまり。この「ちゃんとしたい」というものの基準は自分のホンネからのものではないことの可能性がめちゃくちゃ高いのです。あなた以外の「他」からの情報や指示、教育、無言の圧力だったりするもの。
いろいろ試した結果から、より自分ののぞみを導き出せることも多々あります。
ですがそれすらも誰かの基準で、誰かの満足度で、測られている可能性があるのです。
②「ちゃんと」出来たら満たされるのか?
そんなのやってみないとわからない。となるかもしれませんが一つわかっていることは、そもそものゴール「ちゃんとする」が、あなた自身のものでないので、満たされる可能性が限りなく低い、もしくは一瞬の「満たされたかも」で終了。
そこから、まだ私には足りないものがある という差を自ら探しに行き 不足認定をし、
ちゃんとしないと!
あれがないから〇〇にならないんだ
という永遠に自分のゴールではない誰かのゴールを追い求めて走り続けるのみ。
「ちゃんとする」
これが他人軸だとは思えないほどに
常識という名の洗脳は実しやかに
そお〜っと忍び込み、さもそれがあなたの本音であるかのように
振る舞っているのです
そこにまずは気づくこと。
だから「本音(ホンネ)100%で生きる21日間トレーニング」があるのです。
その気がつかせないようになっている「膜」はあたかも自分の考えのように
さりげなく、いつもそばにいます。
だからこそその存在に気がついて 自分で自分の奥深くを探求する必要があるのです。
ただそれをしなくていい人もいます。
このままでいいという方はどうぞそのままでお願いいたします。
「ちゃんとする」「ちゃんとしなくちゃ」ということに対する問題点は実は地味に私たちの中に蔓延っていて。
さらにそれに気づかないように仕向けられていることにすら、気づいていないって事。
さりげなく、地味に誘導されているという事実に気が付く。
これも覚醒の一つ。一部。そしてこの小さな気づきをきっかけにして大きな覚醒につながる。これがまずスタート❣️